小堀遠州が、伏見にいた頃、
黒田筑前守長政が国へ帰るというので茶会に招いたものの、
長政は途中で病気になり、大津で養生するというので招きを断った。
遠州は残念に思っていたが、幸いにも上林竹庵と京都の数寄者2人がやって来たので、
丁度催していた茶会に招くべく、
「路次の方へ廻られよ。」
と言った。
3人は喜んで茶亭の方へ行ってみると夕立の後で涼しく、
庭の若葉は露が滴るばかりである。
ところが床の間には花は生けてなく、
床の壁にはさっと水を打った跡があるばかりであった。
皆が不審に思っていると遠州がやって来て、
「今日の夕立で路次の木々が涼しそうに濡れているのを見た眼では、
花は面白くあるまいと思い、わざと生けなかったのだ。」
と答えたので、3人は等しく感じ入ったということである。
ところがこれを聞いた京都辺りの茶人は、雨が降りさえすればわざと床を濡らして、
花を生けない風を流行らせたので、伝え聞いた遠州は大いに笑ったという。
この一事をもってしても、いかに遠州が一代茶道の泰斗として、
天下に重んじられたか知れよう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!