この頃、岡崎が話した二、三の話の中に。
「故筑前守(黒田長政)は、古遠州の門人でとりわけ茶道に熱心であったが、
ある時、江戸で筑前守が遠州に、
『利休、織部といえども、時に、これは嫌な物数寄だ、
どういう訳でこんなことをされるのだと思うことがありましたが、
遠州のなされることは一つとして嫌らしいことはなく、
いちいちその訳が合点出来ます。
お上手と申し上げるも愚かです。』
と申し上げた。
遠州、
『それは貴殿の茶の湯にまだ至らぬところがあるからそう思われるのです。』
と答えた。
ただ『はい。』と答えて筑前守は下がられたが、合点がゆかなかったので、
出入りの町人を通してそれとなく真意を問われたけれども、何も答えを得られなかった。
ほどなくお暇を下されて遠州は伏見へ帰られることになったが、筑前守が、
『私もおっつけお暇を下されるでしょう。
帰る途中、伏見によりますから、お茶をいただきたいものです。』
と申し上げると、
『いかにも進上いたしましょう。』
と約束して遠州は京に帰った。
いくばくも無く、
『明日伏見を通りますので、お茶をいただくことはできますか。』
と申しよこすと、
『何はさておき、差し上げましょう。』
と遠州は約束されたが、その日は東福門院のご用で上京されるところだったので、
家来の何某に、
『明日は筑前守がいらっしゃるから、庭の掃除をはじめ、
かくかくしかじかの準備をしておくように。』
と言いつけて上京された。
夜を徹して帰ってから一度庭を見回って大いに気に入ったが、
囲居に入ると大いに不機嫌になって、筑前守に使者を立てて、
『明日の茶は囲居で差し上げることが出来なくなりましたので、書院にて差し上げましょう。
羽織にてお出で下さい。私もそういたしますから。』
と言ってよこした。
筑前守は意外に思ったが羽織で参ると、遠州も羽織で出迎え、玄関より書院に通し、
料理も型のごとく、濃茶も出された。
すべて終わって、筑前守が、
『本日はどういう訳で囲居ではなかったのでしょうか。』
と問われると、
『そのことです。昨日はご用を仰せつかって上京したために、
留守の者に今日の準備を申し付けておいたのですが、
囲居の畳替えをはじめとして窓竹まで真新しいものに交換してしまいました。
そのために囲居でお茶を進上しなかったのです。』
『それはどういうことですか。』
『いや、そこです。いつぞや私めは利休や織部たちには及ばないと申し上げたことを、
ご合点下さい。
貴殿は江戸でほうぼうの結構な囲居での茶会にはご出席し尽されていますから、
私のところでは虫喰い竹に古畳でお茶を進ぜようと思っていたのに、
案に相違して囲居でお茶を進上できなかった点こそ、
利休、織部の両名に、私が及ばぬところなのです。』
と申された。」と岡崎が語った。
家煕様は、一段ともっともなことだと仰った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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