ある所に侘びの茶湯者が有り、小堀遠州殿のお供で、
私もその人の茶会に参った事が有った。
茶会の後、私が遠州殿に、
「あるべき式法通りの茶湯でした。」
と申した所、遠州殿は、
「有るべき式法の茶湯でしたが、それでは侘びの心がない。
侘びは侘びの心を持たなくては、茶湯は出来ないものです。
今日の仕方では引菜(食事の途中で出す料理)の重箱を取り入れず、
席中にそのまま置いておくべきでした。
侘びにふさわしく菜の数が少なかったので、
全部食べてしまった後に、また取れるようにするためです。
また酒は燗鍋で出し、湯は湯桶で出しましたが、
これも考え直して、燗鍋をよく洗って、湯を継いで出せばよかったでしょう。」
と言われた。
侘びには万事その心がなければ出来るものではない。
世の常の茶湯をして誇る人には、
こうした心持ちは腑に落ちないものであろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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