大坂夏の陣が始まろうっとしていた慶長20年(1615)4月28日の昼、
京都一条岩神に住む町人の岡村喜左衛門という具足師が、
二条の京都所司代へと参り、
「神泉苑の傍に、怪しき者十余人が隠れています。」
との情報を板倉勝重に伝えた。
これにより板倉は雑色を先に立て、与力10騎、同心20人を派遣し、
16人ほどを捕縛した。
板倉が彼らを糾明すると、その賊の中の一人で、年寄りの者が白状した。
「我々は、将軍が28日に御出陣と承りました。
その時、洛中に火を放つべきことを大野と約を定め、
私は十余人ほどを引き連れ京に潜伏しましたが、未だに御出陣の沙汰無く、
このため仲間たちは皆々落ち失せ、今はこの16人だけとなってしまいました。
ここ一両日は食に飢労し、体力も無くなっていたため、
動くことも出来ず、このようにやみやみと縄に懸かってしまったのです。
哀れと思し召され、御慈悲を以って、どうか生命をお助けください。」
これを聞いて板倉は、
「下臈の事であるかあら、有体を申すにおいては上に伺い命を助けよう。
しかし、ここ一両日飢えていたというのはよく解らない。
なにか買い求めて食おうとしなかったのか?」
「いかにも、代物があれば買い調えたでしょう。しかし一銭の貯えもなかったのです。」
「それは不審な事だ。このような大事を思い立つ者が、どうして用意をしていないのか?」
賊、重ねて言った。
「我々も最初は、二十日あまりの計画を立て金銀を用意していましたが、
古田織部正の茶道である宗喜と友人でありますので、
彼と合図を定め、城中に狼煙を上げるのを見れば、
所々に火をかけると約束し、一両日分だけの糧を貯え置いたのです。
残りの者達は皆、古田織部正に従いました。」
この言葉に板倉は驚愕した。
「お前は宗喜と何の由縁があるのか!?」
「博奕の友です。」
「博奕で、初めて出会ったのか?」
「いいえ、十年来の友人です。」
板倉は彼から篤と証言を聞いたうえで、宗喜を捕え、双方を監禁し、この旨を言上した。
これによって古田織部正も、その後、切腹を仰せ付けられたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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