大坂夏の陣☆ | げむおた街道をゆく

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大坂夏の陣の折、大坂方は古田織部と語らい、

『両御所(徳川家康・秀忠)が京・伏見御逗留の間に、洛中を焼き候へ』

とあった故、織部は自分の配下である茶道頭の宗喜に申し含め、

調議を廻らせていた所、
板倉伊賀守(勝重)はかねてからこう言ったことに心を懸けており、

法度を厳しく申し付けていた。

この時、尾張宰相義直卿の家臣、甲斐庄三平(庄三郎?)、今井伊兵衛両人によって、

火付けを二人搦め捕り、成瀬隼人を以て言上した。
 

伊賀守はこれを請け取り、糾明して同類四十三人を捕らえ、

それから七日の内に三百余人を検挙した。
 

そして彼らの棟梁は古田織部であり、磔に懸けられ、彼の徒党の者共も尽く罪科に行われ、
洛中安静となった。

この織部、先の冬の陣では幕府方の御供をし、

味方の事を聞いて、矢文を射て大阪城内に告げている事を、
権現様はご存知であったが、あえてご存知無き体になされ、逆に利用したのだという。
これは反間(間者)を用いられる、御名将の趣深さである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 割って城を・異聞、古田織部

 

 

 

ごきげんよう!