古田織部殿の茶湯が盛りであった頃は、
遠国よりも多くの人が伏見へ登り逗留して、
織部殿の手透きを伺って茶湯を所望していた。
織部殿の殊に気に合った塗師の道恵という者、
都に住んでいたが、織部殿の余勢によって、
茶湯も家業も上手であると、京都の人々は褒めそやし、
自身も自慢していた。
その頃、田舎に住んでいる士が四、五人打ち連れて伏見へ赴く途中、
道恵の家の側を通り、
そこで案内を通してこのように伝えた。
「我々は伏見へ赴く者たちなのだが、織部殿の所にも折々出入りさせて頂き、
そちらのこと、かねてより承っている。
このような折から幸いに思い、寄って御茶を所望仕りたい。」
これに道恵は喜び、
「丁度釜の湯も湧いています。よく我が家を訪ねてくれました。」
と、露地の戸を開き招待した。
互いに挨拶事が終わると、茶請けとして煎海鼠、串鮑、蒲鉾の煮染めた物を出し、
茶を点て仕廻し、時宜を述べて各々立ち帰った。
道すがら、道恵の作意について彼らの褒貶はまちまちであったが、
その中で千田主水が難じたのは、
「今日の茶請けは潔くなかった。
不時の作意も無く、ただ残り物の類を出されたようで、
気分が良くない。
道恵の茶湯には奥ゆかしさがない。」
そう言うと、聞いた人は皆、是に同意した。
このような事は茶湯に限らず、時により人により、よくよく遠慮があるべき事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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