板倉勝重は、長く京都所司代を務めて老齢になったので、辞任を決意した。
将軍秀忠は、
「お前に代わる者などいない。」
と引き止めるが、勝重の意志は堅い。
そこで秀忠は、
「ならばお前が適任だと思う者を指名してくれ。」
と勝重に言った。
勝重は、
「私は長く京におりましたので、
江戸にどのような方がいらっしゃるのか存じません。
江戸には優秀な方々が多くおられると思います。
ですが、もし名をあげろと仰せでしたら、僭越ながら我が子・重宗を推挙いたします。
かの者の冷静さならば、父の役目を引き継げましょう。」
と述べた。
そこで秀忠は重宗に後任を命じたのだが、重宗も父と同じで頑固なのか、
自信のなさから後任を何度も断った。
しかし秀忠が、「子を知るは父にしかず。」と諭すので、渋々ながらついに役職を引き受けた。
所司代を受けた重宗は父に、
「私には所司代なんて無理ですよ。それなのに私を推薦なさるなんて…。
私はあなたが恨めしいです。」
と文句を言った。
これに勝重は、
「ハハハ、『爆火を子に払う』ということじゃよ。」
と答えた。
その後、勝重は息子に国光の刀を与えて、
「人を切るのも、人に切られるのも、
身を守るのも、人の身を守るのも、すべて刀の徳じゃ。
されど、この刀を狂人に与えても、刀に代わるとはありえない。
おぬしはそれをよく知り、
この刀を狂人に渡さぬ心構えで政事を裁くのじゃ。」
と重宗に言った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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