ある山寺の僧が、弟子を小僧として仕込んでいた。
しかし、ある時、この小僧は寺から逃げ出して、親のところに帰って来た。
親が小僧に理由を尋ねるには、
「僕は立派なりたいと思って頑張って耐えていたのですが、
お師匠の折檻が酷いので逃げてきたのです。
お師匠は僕に髪剃りをさせるのですが、
初心者なものですから時々失敗してお師匠の頭から血が出ると、
大変折檻されます。
それと味噌をするときに、すりようが悪いと朝夕叩かれたり、
便所に行くと便所に行くのは悪いと折檻されました。
もうとても耐えられない。」
なんて酷い師匠だろうと思った親は住職に苦情をつけて、子どもを引き取ると言った。
すると住職は、呆れた顔でこう言った。
「大人のお前が小僧のたわ言を鵜呑みにするとは情けない。
望み通り引き取ってもらうが、檀家の手前、真相をはっきりさせておこう。
味噌の件だが…すりこぎでするのが当たり前なのに、
あやつは味噌を鍋に入れて塗り杓子の背中でこするから注意してるのに、
何度も繰り返して何本も杓子を折ったのじゃ。
これが折れた杓子ね。
便所の件だが、わしがあやつに何か申し付けると、
あやつは代官衆のために新しく作った来客用の便所で、
居眠りをしおるから叱ったのだ。
誰も入らないように下していた鎖を捻じ切ってな。
これが壊れた鎖ね。
そして髪剃りの件だが、あやつも剃る練習をしたろうと、
わしの頭を剃らせたら腹を立ててわざと傷をつけおったのだ。
ほれ、わしの頭は傷だらけじゃろ。」
そのように証拠を見せられた親は納得して帰っていったということだ。
…という話でな。これは訴訟で裁く時にも大事なことだ。
一方の話だけを聞くと相手はなんて酷い奴だと思うものだ。
また納得した話であっても、ゆっくり聞くと何かおかしいと後で気づく。
断片的なことで全体を判断することなどできはしない。
それさえ心得ておれば、もう何も言うまい。
板倉勝重は、息子・重宗にそう教えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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