ある時、京都所司代である板倉周防守勝重が、
儒者であり、あの林羅山の弟である林永喜を同行して、
京の街を通った。
所司代の通行である、それなりに格式ある行列で進むのだが、
この時、その行列が通っているというのに、ある店舗の端の方で町人の男が、
足をだらんと投げ出し鼓を打っているのが見えた。
しかもこれが、余りにみっともない姿で、
どうやら足の間から褌なども丸見えというようなものだったらしい。
これを見つけた林永喜は甚だ怒り、
「所司代が通るというのに形も改めず、
あのような姿で鼓を打っているとは何たる不埒者でしょうか!
あいつは所司代を侮っているに違いない!
直ぐにここへ連れてきて、お叱りなさるべきでしょう!」
と、いかにも儒者らしい意見を申し上げた。
ところがこれに板倉重勝、
「いえいえ、私は全く別に考えました。あれでいいのですよ。
仮に私が公事(裁判)を裁くのに依怙を用いていれば、
町人たちは私を恐れ、私という存在にへりくだり、
非常に気を使うことでしょう。
私は誰であっても公事、訴訟の事があって司代の前に出るときは、
その理非のみを見て判断するようにしています。
そのためでしょう、『あの所司代は普段は恐ろしくない』と、
町人たちに思われるようになりました。
そういう事だから、今のように我々の行列を見ても、彼らは姿を改めないのです。
逆に町人たちが私を恐れひれ伏すような事であれば、その時は私が恣意的に、
その権力を使っているということなのです。
だから町人たちが私の姿を気にしていない間は、自分が公平にこの職務を行っていると、
それを確認できるのです。」
林永喜はこれを聞いて、甚だ感服したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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