大坂の陣の勃発前から、京都所司代である板倉勝重は、
大坂に間者を入れておき、城中のことは、大小と無くこれを知っていた。
そして片桐且元が鐘銘事件の弁明を行い駿府を出発した頃には、
本多正信の計らいによって、卯殿半助、田中一蔵という、
甲賀衆のうち間者の手腕に名を得た者両名を大坂に登らせ、
諸事万端を聞き合わせて、これを板倉勝重の元に報告していた。
この卯殿・田中の両人は、冬の陣・夏の陣共に大阪城内に有り、
そのため、大坂城の中にいる者すら知らないことでも、
勝重はよく知っており、これは全て関東に報告されていた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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