戦国乱世であるからには、政略結婚と一口に言っても、
遠隔地に輿入れするのは容易なことではない。
間を美濃国の斉藤に遮られた、尾張国の織田と近江国の浅井の場合は、
次のような策を講じて、信長の妹・お市を、浅井長政のもとに送り届けたという。
永禄3年正月、剛勇で鳴る浅井家家臣・磯野員昌は、
大病にかかるも九死に一生を得た。
ついては伊豆・箱根・三島明神・浅間神社に祈願した霊験のおかげなので、
お礼参りをしたいと東海・東山道筋の各城主に員昌の使者が送られた。
員昌は音に聞こえた勇士。
戦乱の世とはいえ、お礼参りとあれば今川も北条も通行を許可しない訳には行かない。
しかし員昌のお礼参りは口実だった。
道中、尾張に立ち寄った員昌は、織田家の佐久間信盛と密会し、
お市と浅井長政との婚姻の話を取り決める。
翌永禄4年6月、員昌は再びお礼参りの旅に出る。
今回は夫婦共に参拝したいと今川・北条に申し送り、女輿や侍女を多く連れて、
東国を巡る旅となった。
そして、帰路に立ち寄った清洲にて、員昌の妻として輿に乗っていた替え玉の女性と、
お市とを入れ替えた。
その後、お市を加えた員昌一行は、何食わぬ顔で小谷まで戻り、
無事長政の祝言を執り行ったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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