筒井家家中では、その臣・中坊秀祐と、
桃谷国之、河村正之、松浦祐次等が、不和となったが、
去る慶長三年六月、中坊は、その息・秀政と共に、
筒井家を立ち退き駿府へ向い、
『筒井定次は、酒色に溺れ、政道に癖事多く云々』
とし、河村、松浦らの奸佞の至悪等を、家康公へ訴えると、
筒井定次も、この事を伝え聞いて大いに驚き、
近臣である桃谷国仲、その息・與太右衛門、並びに松浦、河村を召し連れ、
駿府に赴き、
『中坊秀祐は、その勇功を誇って主君を蔑ろにし、傍輩を猜み讒訴して、
筒井家より独立することを欲している。』
と訴え、双方の対決、数日に及んだ。
このような中、伊賀守(筒井定次)は養父である、
順慶以来、二代共に故太閤の厚恩を蒙っており、
密かに大坂に近侍していると聞こえてきた。
さらに酒色の遊に溺れ、河村、松浦と言った奸人を用い、
政道正しからざるよしに沙汰極まり、遂に定次非い陥り、
同二十日、伊賀国並びに勢州、城州等の領地悉く没収され、
侍従定次、嫡子宮内少輔順定、共に藤堂(高虎)に預けられ、
桃谷與次郎は、
「酒色の遊には預からざるとも、老臣職として非道を諌めざる咎」
により、お預けとなった。
桃谷與太右衛門、河村與六、松浦左内の三人は誅せられた。
中坊左近は従五位下飛騨守に任じられ、
息・中右衛門は左近と改め将軍家に仕え、
和州吉野郡にて三千五百石を領した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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