慶長十四年二月二十九日、伏見に於いて、
中坊秀祐が殺害された。
去年の夏、彼は伊賀国主の筒井(定次)を、駿府に於いて讒言したのだが、
この時、彼はまさに筒井定次の家臣であったのに、そのような行為に及んだため、
彼は是非に及ばぬ逆臣であると皆指摘し、憎まぬ者は居なかったのだが、
その天罰を蒙ったのか、このような横死に逢った。
その様子は、伊賀守(筒井定次)の被官で山中という者があり、
主人が牢人した後、伊勢国の九鬼長門守の元に居たのだが、
旧友であった中坊の所に着て、夜更けまで語り合い、その後、
中坊は奥に引き入り就寝した。
かの山中は中坊の息子と共に寝た。
この時、何者の仕業か中坊は首を切られた。
家中の者たちは全くこれを知らず、中坊は普段、夜半に必ず薬を用いていたのだが、
この日はいつもの時間が過ぎてもこれを求める言葉がなかったので、
女房が障子を開けてみた所、そのように殺害されていた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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