明智光秀が、織田信長を弑した時、筒井順慶は光秀と親しかったため、
彼は必ず光秀に与すると人々は考えていた。
池田紀伊守(恒興)は、
家臣の日置猪右衛門、土倉四郎兵衛、丹羽山城の三人を使いとして、
順慶のもとに派遣させることにした。
三人は、これを承って、
「順慶がもし明智に与するようであれば、我々が刺殺します。」
と申し上げた。
紀伊守は、
「いやいや、汝らが死ねば私は片手を折られたのと同じだ。」
と、これを制したが、
三人は、
「順慶と戦した場合、どれほどの手負い討死が出るでしょうか?
この三人を以て、多くの味方と変えるのです。
順慶を打ち取れば、光秀も必ず敗北します。」
そう申して順慶の元へと向かった。
筒井順慶は彼等に対面すると、
「どうして光秀の不義に与しようか! すぐに信長公の弔い合戦をしよう!」
と言った。
それを語る内容は偽りとも思えなかったため、三人は喜んで帰っていったが、
その道すがら、丹羽山城が語った。
「今日、順慶が否と言えば刺し殺そうと考え座中をきっと見回した所、
彼の傍らにあった16,7歳ほどの男、順慶の刀を持って居たが、
その面魂は只者ではなかった。
私が順慶に飛びかかれば、即座に、この頭を二つに切り割られそうだった。」
これを聞くと、日置も土倉も、
「そうであったか、我らもそう思っていた。」
と頷いた。
その刀持ちの小姓は牧野兵太といって、
武者修行をして世に聞こえた剛の者であったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
→ 洞ヶ峠、筒井順慶
ごきげんよう!