天正13年(1585)、越前の丹羽長重は、家臣が佐々成政と内通したとの疑いにより、
羽柴秀吉によって改易された。
丹羽家の家臣団は解体し、皆、流浪の身となったが、
秀吉は、自分への謀反に関わっていない忠孝の士は召し出すと伝え、
中でも長束正家に対しては、別して自分に仕えるように要請した。
しかし長束正家はこれを固辞し、丹羽長重が転封された若狭に供奉し続けた。
この正家の態度に秀吉は激怒し、丹羽長重がこれをさせていると判断した。
そして長重の元に、
「お前は長束正家の事に関して、上意に背くつもりか!?」
と疑念を伝えた。
これに驚いた丹羽長重は正家を説得し、秀吉のもとに上京させた。
秀吉は正家を召し出すと、以ての外の形相で叱りつける。
しかし正家は少しも恐れず、こう、申し上げた。
「仮に秀吉公に召しだされたのが、故越前守(丹羽長秀)の御在世の頃であったなら、
わたしも有難き仰せであると、すぐにこれをお受けいたしたでしょう。
ですが今、我が主君長重は至って若輩であり、
特にこの度、亡主長秀の封国を召し上げられ、長秀の旧功ももはや効力を持ちません。
このような状況で、年若の主を見捨てて、秀吉公の碌を拝領するなど出来る訳がありません!
この度長重が受けたお疑いに関しては、私が今説明したように、
長重には全く身に覚えのないものであります。
もしこれで主人長重への疑いが解けないというのなら、
私はたとえ、命を奪うとと言われても秀吉公の御要請を受ける事はできません!」
これを聞くと秀吉はしばらく黙り込んだ。
そして表情を和らげ、
「お前の言ったこと、全て受け入れよう。
長重に罪はない。
ただし逃げ去った逆臣共を召し捕らえるまでは、
その旧領は預かり置く。
誓って長重に対して疎意は無い!」
そう懇切に語りかけた。
この天下人の言葉に正家は平伏し、ここで秀吉に奉公することとなった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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