理あるところを以て☆ | げむおた街道をゆく

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嘉永九年(1632)六月、福岡藩主・黒田筑前守忠之の家老・栗山大膳が、

主人の不行跡を幕府へ訴えでた。
いわゆる黒田騒動に対し、幕府では黒田家の取り潰しを決行しようとした。
だが、その席で井伊直孝が反論を唱えた。

「大膳の訴状を読みましたが、特に領地を没収せねばならんような罪科ではないです。
大船建造のことも忠之公本人でなく先代の長政公の時のことでしょう。

今更咎めるのは無茶でしょう。」

更に直孝は指摘する。

「大体忠之公の謀反自体がデマでしょう。
大膳がしばしば諫言したから、城中に呼び出されて毒殺されかけたと書いてますけど。
そもそも家臣に罰が与えられないからって、

毒殺しようとする奴が幕府に謀反なんて無理でしょう。」

と主張した。その直孝の主張に対し、将軍・徳川家光は冷やかした。

「おい直孝、お前忠之を贔屓すんのかね?」

と。直孝の返答は以下のとおりである。

「贔屓なんてしませんよ。

忠之公は蜂須賀蓬庵(家政)と不和です。
私は蓬庵の娘婿ですが、辿れば私にとっても恨みはありますよ。
私は、理あるところを以て、公論を申し上げただけに過ぎません。」

と。

黒田家の取り潰しは、この閣議によって沙汰止みとなったとされる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 井伊の赤牛、井伊直孝

 

 

 

ごきげんよう!