台徳公(徳川秀忠)御上洛の時、彦根城を御旅館になさるとの由を御沙汰につき、
井伊直孝は将軍家を敬うあまり、家中の妻子家族を皆近郷へ立ち退かせた。
この事を台徳公は御聞きになり、彦根城へ御立ち寄りもなく、
直に大津へと御出になったので直孝は大いに驚き、
そのまま彦根に閉門して御沙汰を待った。
その後、台徳公は、
「旅館になる城は屋敷内へ小屋を建てて、
そこへ家中の妻子を入れるのが然るべきというのに、
直孝はいかなる所存で家中の妻子を近郷へ立ち退かせたのか。
実に不審である。」
と、仰せになった。
それから御下向なさるという時、直孝は、
「このまま京都に閉門して、慎んだほうが良いだろうか?」
と、酒井忠勝へ内々に問うた。
忠勝は答えて、
「そのまま彦根にいても然るべきではない。
供を少し連れて槍一本を持たせ、
密かに御後から下り申されるべきでしょう。」
と、言った。
直孝はその通りにして慎んで下った。
台徳公は三島を御通行の折に仰せになって、
「直孝は下ったか?」
と御尋ねになった。
忠勝は答えて、
「供に3人を召し連れて慎んで御後に付き、供奉仕っております。」
と申し上げたので、
台徳公はやがて直孝を召し出され、御言葉を御掛けなさったということである。
“井伊家の一本槍”は、この時より家例となったのだとか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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