元和から寛永年間にかけて、徳川幕府は諸大名に、いわゆる天下普請を命じた。
譜代筆頭格の井伊家も多くの普請に駆り出されたが、
殿様からして無骨一辺倒、御殿や社寺普請の知識を持つ家臣や、
伝手の少ない井伊家の作事は遅れがちであり、他家の侮りを受けていた。
江戸城本丸の改修においても、いつもの様に他家の普請が完了する中、
井伊家の普請は未だ天井の梁が丸見えであった。
不安になった井伊家の侍たちは、普請奉行の岡本半介に伺いを立てた。
「お奉行、このままでは数日後の幕府検視に間に合いませぬ。よろしいので?」
「うむ、これで良いのだ。」
「?それと、釘がだいぶ余っておりますが、これも、数えなくて良いのですか?」
天下普請において釘は幕府を通じて買い、余った分は数えて幕府に返し、
差額を返金してもらう仕組みになっていた。
が、半介は言う。
「かまわん。余ったら、まとめて埋めてしまえ。」
「そ、それでは当家の損となりますが?」
「まあ見ておけ。わしに考えがある…。」
検視当日、井伊家の担当部署を訪れた幕府目付は当然、
吹き抜けのままの天井を疑問に思った。
「岡本殿、この天井はいったい?」
「いや、近ごろ色々な風聞があり申す。
よって天井は特に、裏までじっくり検分をいただかねば。」
(なるほど。先ごろの、宇都宮の仕掛け天井とやらの噂を気にしての処置か。
忠節の家は違うわい。ところで…。)
「話は変わるが、井伊家には釘の返納が無いとか。本当によろしいのかな?」
「いかにも。当家の普請に、余る釘など一本もござらん。」
「むぅ。さすが武をもって知られる井伊家、城普請も無駄無くソツが無い。
それがし、感服仕った。
それに比べて他家は…手を抜いているのではあるまいな?」
こうして他家でも、天井板を剥がして目付に見せねばならなくなり、
釘の返納が多かった家は手抜き工事を疑われ、普請をやり直すハメにすらなったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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