渡辺尚(糺)と、その母である正永(正栄尼)は、豊臣秀頼に仕えた。
大坂の陣の時、戦いに敗れて諸将は皆死んだが、
尚は重傷を負って戻り、正永と会った。
この時、正永が、
「お前は、どうして死に遅れたのだ。」
と問うと、尚は、
「もう一度、阿母にお会いしたかったのです。」
と答えた。
これを聞いて正永は、
「女子が死ぬことができないとしても害は無いが、
海よりも深い国恩を蒙ったお前が死ぬことができなければ、
これ以上の大きな恥は無い。」
と、言った。
そこで尚はようやくその三人の子を殺し、自ら腹を切って死んだ。
正永はこれを喝采すると首をのばし、手助けする人の刃を受けて死んだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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