豊臣秀吉の九州征伐の、最後の主力決戦となった、日向根白坂の戦。
さて、この戦いに、日向方面の大将である豊臣秀長は出陣しなかった。
この事が秀吉の耳に入ると彼は弟への憤りを隠さなかった。
「大納言(秀長)は、どうしてそんな油断をしたのだ!?
幸いに薩摩勢の方から出てきたのだ、秀長の陣地は特に念入りに普請し、
防衛力に問題はなかった。
ならば軍勢の一部を陣地に置いて、秀長の手廻りの人数を始めとして、
密かにひたひたと敵に取り付けば、薩摩勢を一人もとり逃すことなく殲滅できたはずだ!
この油断、沙汰の限りである!
薩摩軍に襲撃された宮部継潤の近くに陣取っていたものは誰か、
その様子など絵図面に取って、早々に持って来い!」
すると、尾藤知宣が宮部の陣の近くに陣取っていたことが解った。
秀吉は、尾藤の元に、森(毛利)勘八を叱責の使者として送った。
森勘八は聞く。
「秀吉公は、
『甚右衛門(尾藤知宣)はどうして薩摩勢に攻撃しなかったのか、さては裏切ったか!』
と、ご立腹になっております。」
これに尾藤。
「その事でありましたら、私はあの時秀長様に、
『幸いにも薩摩勢が出てきました、一人残らず討ち果たせるでしょう!
彼らを破った勢いのまま直に薩摩に入ることも可能です。
秀吉公から激賞を頂けるのも、眼前のことでございます!』
これには黒田官兵衛・長政親子も賛同し、共に秀長様に申し上げました。
しかし秀長様は、
『それぞれの持ち口の陣中を堅固に固めよ。
薩摩の戦術は表より裏に人数を多く控えさせているものだと聞いている。
今襲撃に出ている薩摩勢に対し人数を出すことは、まったく無用である。』
このように言われた上は私にはどうしようもなく、そのまま陣にとどまったのです。」
そう証言した。
さて、秀吉の使者である森勘八は、
この後、豊臣秀長の元に行き、尾藤の証言内容を確認しようとした。
秀長は、
「甚右衛門はそんな事はまったく言っていない!
黒田官兵衛は確かにそう言ったが、
薩摩勢が山の裏に人数を控えさせているという情報が入ったため、
大事をとって動かなかったのだ!」
そう、森勘八に申し聞かせた。
この双方の証言を聞いた秀吉は、やはり兄弟であるためだろうか、
秀長の言うことを全面的に信じ、尾藤知宣を追放処分とした。
黒田官兵衛には、秀長の証言より問題はないということで、何の処分も下されなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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