慶長十九(1614)年の、いわゆる冬の陣の事である。
12月13日のこと、
東軍が重成の持ち場に鬨(とき)の声を揚げて攻めかかってきた。
重成は櫓に登って一見した後、真田幸村に会ってこう言った。
「今、私の持ち場に攻め寄せてきた関東勢の旗の紋は六文銭です。
きっと御一家なんでしょう。
それについてお尋ねしたいのですが、
ことのほか若い武者二騎が真っ先に進んできて弓や鉄炮をものともせず、
兜を傾けて柵に取り付いています。
どなたの子なんでしょうか、櫓からご覧下さい。」
と言ったところ、幸村は、
「ああ、それは見る迄もなく、いかにも六文銭の旗は、兄・伊豆守信之のもので、
その若者の一人は河内守といって十八歳、もう一人は外記といい十七歳、
二人とも私の甥です。
かわいそうですが、彼らを侍分の人に命じて討ち取って下さい。
そうすれば若くして木村殿の持ち場で討死にしたとその名が後世に伝わり、
われら一族の喜び、
これに過ぎるものはありません。」
と答えた。
それを聞いた重成は、
「いや、そうではありません。
一族が引き分かれての戦いに、どうして後日お咎めがあるでしょうか。
必ず和睦になりますから、めでたくご対面なさって下さい。
御心底お察し申します。」
と言って士卒に命じて言うには、間違ってもその二騎の若武者を鉄炮で撃ってはいけない、
くれぐれも過ちのないように、と彼らを気遣ったとのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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