大坂冬の陣の直前、片桐且元が、その大阪屋敷から退去した時、
その屋敷の床の中央に一通の書状が、置かれていたという。
それは織田有楽斎宛のものであった。中を見てみると、こう書かれていた。
『且元、計らざる災いにかかり、城中を追い出されてしまいました。
私は関東に対して、力を尽くして豊臣家を守ろうとした、
その寸忠は全て仇となってしまいましたが、
私は、秀頼公の御身の上が、今後もつつがなく渡らせられることを望むばかりです。
今、且元が大阪を退いたことが関東に聞こえれば、定めて御不審を持たれるでしょう。
或いは乱の基とも成るかもしれません。
この上は、外に策もありません。
ただ御台所(千姫)を、早々に本丸へと引き取ることが肝要です。
夢々ご油断あるべからず。』
しかし、大野治長らは早々に、この策を用いず、
終にその意図を外してしまったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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