慶長十六年(1611年)、徳川家康は豊臣秀頼に、二条城での会見を要求した。
淀殿は、秀頼の身を案じ、軍配者(戦の吉兆を占う者)である白井龍伯に、
その事を占うよう命じた。
彼は香をたいて煙に現れる気を3度見たが、すべて大凶と出た。
それを片桐且元に連絡したところ、
且元は、
「私は占いの事は良くわからない。
が、秀頼様が二条城に行かなければ、戦になること、これだけは解る。
良いか、占いの内容を、吉と書き換えるのだ。」
しかし龍伯は、こう反論した。
「そんなことを言われて、もし秀頼様に何かあったら、
書き換えさせたあなたの責任になりますよ!?」
且元は笑って答えた。
「秀頼様が殺されれば、私も一緒に死ぬ。誰に罪を問うというのだ?」
こうして、占いの結果は吉と書き換えられた。
淀殿は秀頼を二条城に送り出し、対面は無事、果たされた。
龍伯には豊臣家より褒美として、白銀100枚が下賜された。
が、彼はこれを期に、一切の占いを止めたと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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