大坂冬の陣の講和の後、
大野修理が御城より帰り、内御門の脇にて小便をして居た。
ここに30ばかりの、撫で付けにした小紋の袷を着て、
一尺三寸ばかりの脇差を持った男が、
大野の60人ばかりの供の者に紛れていた。
その時は夜の五つ時分(午後八時頃)であっただろうか、男は大野に飛びかかった。
脇差が大野の身に刺さったまま、男は駆け逃げた。
闇夜であったので、大野の供の者たちは、方々を探したが男は見つからなかった。
しかし大野の小姓が、焼き崩された片桐且元の屋敷跡の、石垣の際にて男に追いつき、
肩先から一太刀で討ち留めた。
この小姓は後で豊臣秀頼より、過分のご褒美を下されたという。
そして、かの討ち取られた男についてだが、
大坂城より、金子五十枚を賞金としてかの男の身元を知る者は訴えるよう属託したところ、
翌日には二人のものが訴え出て金子を受け取った。
すると本町に住む牢人が、家に火をかけ自害するということが置きた。
後に下々の者は、この事件は片桐且元が起こした事だと申していた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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