終始の勝敗は、終始の政による☆ | げむおた街道をゆく

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大坂夏の陣、5月7日に、

大野修理は茶臼山の近くまで進出していたが、秀頼の出馬あるよう申し上げるとして、
城中に引き返したが、その時、大纏を持たせて城中に急ぎ退くのを、

他の味方から見ると敗北して城に逃げ帰るように見え、

七手組の人数その他城外に出て戦っていた秀頼方は、悉く気後れし敗北の機が出来、
共に城に入る者も多かった。
 

寄せ手はこれに気を得て、いよいよ勢い強くなり、

これによって豊臣勢は総敗軍となり、たちまちに城中周章し、
程なく落城に及んだ。

 

そう語る人がいる。

しかし、大坂の落城の原因はこれではない。

ただ秀頼の謀の不足、群臣の異議不全によるものである。
 

さらに推して言えば、太閤秀吉は一旦の勢いに乗じて天下を従え、

道の道たる理由を知らず、
己の私智に任せた事の余映に寄ることである。
 

また、この時についても、大野が不功者にて事理を糾明し得なかったため、

こういうことも起きたのである。

その日、速やかに破れたのは、その日の謀により、

終始の勝敗はまた、終始の政によるべき事である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 淀殿に近侍、大野治長

 

 

 

ごきげんよう!