大坂冬の陣の講和に向けた動きが始まる中、
大坂城の首脳である織田有楽、大野治長は、
豊臣秀頼の御前にて、このように講和の受け入れを勧めた。
「両将軍家より、御和睦の事を再三仰せ遣わっています。
その上意疎意あるまじと、
神文を進ぜられるとの事です。
この度の合戦においては、日本国中の軍勢が雲霞のごとく集まり昼夜攻め戦いましたが、
我々にはさほどまでの負けもなく、これによって君のご威光は天下に秀で、
人々はその武威を皆恐れるほどです。
然れば、また重ねて時節到来の時期が来れば、味方に属するものも多いでしょう。
また大御所も既に七十余歳。
御余名も久しくはないでしょう。
彼が薨去すれば、必ず変があります。
その時は天下の大名2つに分かれ、合戦が起こり、
我らの存在が大きくなること疑いありません。」
秀頼は、これを聞くと、
「お前たちが申すこと、一々道理が有る。
だがその内容は結局、この戦が始まる前に片桐且元が、
私を諌めたものと同じではないか?
であるのに、その諌めを排除して今度の難儀に及び、
ようやく今になって片桐の諫言に従うとは、
運の極まりである。
しかし運を天に任せ敵を討ち果たそうと思っても、今は皆和睦を好む。
ここに至っては恥を忍んで降を乞い、
士卒の生命を継ぐ事を以って、軍勢の恩賞とするしかない。
早く和睦を調えよ。
片桐の忠言はこの時に顕れた。
私は後世から嘲笑をうけ、その恥辱を雪ぐことも出来ない。」
そう、目に涙を浮かべて言った。
有楽も治長も顔を赤らめたものの、
秀頼が、和睦を許諾したことに喜悦して退出した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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