大坂の陣の砌、豊臣秀頼公は、篠原又左衛門という者を召し、
「汝が生国は淡路であるから、能く案内を知っているだろう。
また親類、好の者も有るだろうから、
それらとも語らい、同心の者があれば、由良城を攻め、かの島を固め、
由良、岩屋表に番船を置き、
四国九州の往来を差し防ぐべし。」
と命ぜられた故に、篠原は内々これを謀ったが、大野治長がこれを聞いて、
「海を隔てての働き心得ず、始めの手段を仕損じては如何なり。」
と制し、支度の船共を焼き捨てたため、篠原の謀略も徒になったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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