坂井右近政尚の子・久蔵は、姉川の戦いで討ち死にしたが、
三井角右衛門という者と、生瀬平右衛門という者が、
「自分が、久蔵の首を取った。」
と主張していた。
のちに二人は、ともに豊臣秀次に仕えて顔を合わせる事になったが、
互いの主張を譲らず訴訟となり、
結果、
「三井が嘘を言っている。」
と判定され、三井は牢に押し込められ、罰を待つ身となった。
なおも三井は獄中から主張した。
「今一度、詮議を!
命を惜しむのではない、『他人の功名を盗んだ』と恥辱を受けるのが我慢ならんのだ!
同じ戦に出た、浅見藤右衛門なら実否を語れよう。
浅見を呼んで下され!」
「三井め、いよいよ惑乱したか。」
人々が三井を罵るのも無理は無く、浅見は生瀬の旧友であり、
三井とはロクな付き合いも無かった。
ともかく三井の主張は通り、秀次臨席のもと、
聚楽第の広間に呼ばれた浅見は証言を求められた。
「拙者は、生瀬とは年来の知人、三井とは交際も無し。
その二人の詮議に関われば、世人に何と言われるか。
証人は、他の者に仰せつけ下され。」
「仲良からぬ三井の虚妄について語るに躊躇あるは分かるが、
証人として呼ばれたからは、早く申せ。」
関白秀次、直々の命に、浅見は重い口を開いた。
「されば・・・坂井久蔵が首は、三井が取りたるに相違無く、
かの戦において、その働き比類する者少なし。
生瀬の主張は、何かの間違いでしょう。」
一同は思わぬ証言に驚き、すぐに三井を解放した。
生瀬は秀次の寵臣だったので、罪に問われなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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