藤原惺窩は、関白秀次の召しに応じて、五山の僧侶と同じく、詩を相国寺に賦した。
そして惺窩は他日にまた召されたが、病気を理由にこれを辞した。
惺窩が弟子に言うには、
「君子には君子のなかま、小人には小人のなかまがある。
なかまでもないのに交われば、最後まで相容れない。
余が秀次に交われば、ただ最後まで心が合わないのみならず、
後に必ずや悔やんでも、手遅れなことになるだろう。
余は再び見えることを欲しない。」
ということだった。
秀次はこれを聞いて、心中に恨みを抱いた。
惺窩は免れざることを懼れて、
避けて肥前名護屋へと赴いた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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