主君の御前において、傍輩を取りなすことは、
品々あるべきである。
大和大納言(豊臣秀長)殿の御咄の法師が、出頭した時、大納言殿が、
「今朝は、どうして遅れてきたのか。」
と仰られた。
「御普請場の見物に参っておりました。」
と申し上げると、
「法師の身にては相応しくない見所である。
ところで堀石垣はどれほど出来ているか、奉行の侍どもは、
精を出して仕事をしているか。」
と、お尋ねになった。
「何れも、殊の外精を出されており、御普請は順調に進んでいるように見えました。」
と申し上げると、
「さもあらん。誰にも怠りなど無い。
されど、その中でも殊に精を出していると見える者は無いか?
ありのままに申せ。」
そう仰せに成られた。
これに、
「仰せのごとく。誰も怠り無く見えましたが、中でも抜きん出て諸人に下知し、
現場を飛び回り、骨を折っているように見える者が居りました。
その人物について、何者かを尋ねたのですが、
つい今しがた、その名も名字もはたと忘れてしまいました。」
「誰であるか、思い出せ。」
と仰せに成られると、その時、法師はうち案じて、
「名字は魚の名であったはずなのですが、忘れました。」
「鈴木か、益田か、魚住か。」
と仰せになったが、
「いや、それではありませんでした。」
「さては鯰江か。」
と仰せになった時、「その鯰江にて候!」と申し上げると、殊の外、御気色良く、
「総じて、あの鯰江勘右衛門は、慥かに用を成す人物である。」
と評判も上がり、その後、御加増を給わったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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