豊臣秀長は、大和の領主となり、今の大和郡山市に居城を築いた。
今も一部が残る大和郡山城である。
しかし、あまりの突貫工事だったため、
石垣を築くための岩や石の調達が、
全く間に合わない。
ふと周囲を見渡して気がついた。
「さすが寺社仏閣が多く、いにしえから都だった大和。
石仏とか古墳の石室を転用すればいいか。」
今も壮大な野面積みの石垣を残す大和郡山城。
実は壮大な文化破壊の跡地でもあった。
ちなみに一部の石仏は露出しているので、今も確認することができる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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