斎藤龍興は、奸臣・斎藤飛騨守を寵愛し、美濃三人衆や竹中重治らに愛想を尽かされ、
美濃から追い遣られてしまった。
その人となりは、『愚鈍で吃音、小太りな風采の上がらない人物』と、
散々なもので、まさに暗愚の象徴だと言わんばかり。
信長飛躍の踏み台の様に揶揄される、
そんな龍興であるが、伊勢長島や三好三人衆の元へと身を寄せるうち、
キリスト教に興味を持った。
落ちぶれても『蝮』の孫だったらしい。
キリシタンを目指した龍興は、ルイス=フロイスから、
キリスト教の宗儀・世界の創造などについて説かれると聴聞した事を逐一書き留め、
次に教会へ姿を現した際にはその総べてを明白に、流暢に、
一言一句の間違いなく反復することが出来たといい、
教会の信者達はとても驚いたそうである。
また、ガスパル=ヴィレラ司教に対してはこんな質問もしたと言う。
斎藤龍興、
「人間がデウスによって祝福され、万物の霊長であると保障されて居ると師は言う。
ならば、なぜ人間界にかくも多くの不幸が満ちており、戦乱の世は終わらないのか。
万物の霊長たらんと創造されたのなら、なぜ人間の意志に世は容易に従わないのだろうか。
こんな荒んだ世の中を一生懸命、
善良に生きている者達が現世では何ら報いも受けられないのは、何故なのか。」
ヴィレラは龍興の疑問に対し、
『その総べてに納得がいく様な道理を上げて説明した。』
と記録されて居るが、どうなのだろう。
龍興が疑問に思った"なぜ"は、本当に解決したのだろうか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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