西美濃三人衆の寝返り☆ | げむおた街道をゆく

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斎藤龍興の家臣である、西美濃三人衆と呼ばれた、

氏家常陸介(直元)、稲葉伊予守(良通)、伊賀伊賀守(安藤守就)がある時会合し、

伊賀守は言った。

「今の斎藤龍興の所業を見るに、日を追いつきを経るに従って、

諌めを行い国家の為よろしき人と言うほどの人物には、皆出仕を停止させ、

阿諛追従する者ほど威名盛んである。

不順、これより甚だしい物はない。
このようにして滅んでいった国々は、指を折っても数えきれない。

一方、織田信長は仁義の道を行われ、武勇智謀、最も優れている。

この人を頼んで武功に励み、
奮功した家臣たちを撫育しようではないか!」

しかし氏家。
「承った話は、何れも至当であり、これに異議を唱えるものではない。

しかしながら一度も諫言に及ばずして、このような事をするのは、

ただ自分の身を立てようとするだけで、義に非ず。
先ず諫書を上げて、もし用いられなかった時は、そのようにしようではないか。」

こうして彼らは諫書を作り、龍興に差し上げた。

一、君たる道を真の儒者に能く問われて、行いを然るべくされますように。
一、近習に侍っている執権たちは、国家の為には鴆毒です。急ぎ薬言の臣を用いられますように。
一、幽悪を察し、微善を試み、お心持ち至誠に、賞罰を行われますように。


このように諌めたが、阿諛する家臣たちは、却って之を取り消させるように讒言したので、
翌年になって三人衆は信長に使者を出し、味方に参る由を申し上げると、

信長も、

「願う所の幸い、天の与えるところである。」

と、村井民部丞、島田所助の二人を派遣し、能く語らしめた。

永禄七年八月朔日、信長は三河に攻め込む旨を触れ、

小牧山に勢揃いした所で、三河には一言も触れず、
「美濃国において然るべきこと有るぞ! 進めや!」

と宣言し、出陣し、瑞龍寺山へと駆け上がった。

この突然の軍勢の出現に、稲葉山城の者たち慌て騒いで、

「こは何者ぞ、敵か味方か?」

と怪しむほどであった。
 

信長は片端より火をかけ、即座に裸城にした。

このような所に三人衆もはせ参り、臣従を許したお礼を申し上げ、
「この城攻めも苦労すると思っていましたが、

このように何の問題もなく押し詰められた事、誠に御名誉です。」
と申し上げた。

その日は強風が吹き雨も降りだしたので、翌日諸方の手分けをして、

鹿垣を二重三重に結い廻し、
「一人も漏らすな。」

と下知した。
 

城内は、兵糧の支度もなく逃げ入ったものだから、早くも以ての外に弱り、

「命を助けて頂ければ、城を明け渡します。」

と様々に詫び言を申してきた。
 

信長は家臣を呼び集め、どうすべきかを尋ねた所、
「先ず龍興の一命を助けられ、この城を請取あって、

国々太平の功を励ますことこそ宜しいかと思います。」
と、人々一致したため、信長も之に同意し稲葉山城を受け取り、龍興を退去させた。

こうして信長の武威は、飛竜が天に上がるがごとくであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 刀禰坂の戦い、斎藤龍興

 

 

 

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