美濃の住人に岩崎角弥という若侍がいた。
主君は斎藤道三で多年膝元にて宮仕した。
ところが傍輩の嫉妬によって讒言され、道三はこれを信じて角弥の出仕を止めてしまった。
角弥は迷惑して、
「それがしの誤りは何でありましょう。承りたい。」
と人を介して尋ねるが、
道三の返事はなかった。
角弥は、
「もはや主君との縁は尽きたのだ。」
と悟り別の縁を求めた。
その後、角弥は摂政殿に奉公することになった。
彼は器量・骨柄・心様ともに人よりも優れていたので、摂政殿は角弥を最も重用した。
かくして角弥は二年の間御所にあった。
道三はそのことを聞きつけ、摂政殿に使者を送り、
「角弥を賜りたい。」
と申し上げた。しかし、摂政殿は、
「呼び返す程欲しき者をどうして追い出したのだろう。叶えられないことだ。」
と断った。
道三は諦めずに千度百度頼んだが、摂政殿は、
「この者だけは出すことはない。」
と断固拒否した。
大いに立腹した道三は、
「それならば討手を上らせる。」
と決意し、山本伝左衛門と須田忠兵衛という二人の大剛の者を京都に派遣した。
二人は中々角弥を見つけられなかったが、
ある御節会の時、禁中に渡る摂政殿に角弥も供奉していた。
この時、二人は角弥を見つけ、
角弥も見合わせてお互いに「あっ」と思ったが、
摂政殿の警固は厳重で両人は手を出せず、
その日は空しく諦めた。
それからの二人は角弥を討つ機会を毎日窺った。
一方の角弥は、
「あれは討手に違いない。殿下にこのことを申し上げたほうが善いのではないか。」
と思い、ある時摂政殿の様子を窺ってその旨を申し上げた。
摂政殿は直ちに奉行所へ、
「かかる者が京都にいる。厳重に捜査して洛中より追い払え。」
と命じ、長高と貞親が洛中に、
「この者を一時でも抱えた輩は処罰する。」
と触れを出した。
この状況に両人は是非もなく帰国し、
道三に報告すると、道三もどうしようもなく、そのまま角弥殺害を諦めてしまった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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