天文13年(1544)、斎藤道三が、織田信秀方の大垣城を攻めた際のこと。
道三は近江国よりも加勢を請い、霜月(11月)の始めより大垣城へ押し寄せ、
二重三重に取り巻いて、持楯掻楯を突き寄せ突き寄せ攻めた。
敵味方の鬨の声、鉄砲の音は山河を動かすばかりであった。
道三方の陰山掃部助という者、軍勢を分けて牛屋の寺院を焼き払おうとして向かったが、
床机に腰を掛けて諸卒を下知していた時、寺内より流矢が来て、
陰山の左目に二寸ばかり射込んだ。
彼はすぐにその矢を抜いたが、直後また流矢が来て今度は右目へ刺さった。
このため起きようとも起きられず、動くことも出来ず、ただ呆然としてそこに有った。
俄に両眼が射潰されるなど只事ではないが、その理由としてこのようなことが言われた。
かつて平家の侍大将であった悪七兵衛景清が差していた”あざ丸”という太刀を、
去る9月22日の加納口の戦いの折、織田方で討ち死にした千秋紀伊守が最後に差しており、
これを陰山が求めて差したのだが、
幾程もなく盲目と成ったことこそ不思議である。
その後この刀は、丹羽長秀の所有と成ったが、長秀もこれを所持して目を以ての外に患い、
さてはこの刀を所持した者は必ず目の祟に合うのではないかと沙汰され、
熱田大神宮に進ぜようという事となり、宝殿へ納めると、即座に眼病は平癒したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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