慶長8年(1603年)、津山藩主・森忠政は、
新たに藩政の要となる城を、鶴山の地に建てることを決めた。(後の津山城)
当時、鶴山には鶴山城があり、それを中心に神社・仏閣や集落などが、
既に形成されていたのだが、忠政はそんな辺鄙な城下町ではなく、
新たに大規模な城郭都市を形成することを計画していたので、
神社・仏閣は移転させ、集落の住民も山下に移住させた。
そんな移転された神社の一つが『鶴山八幡宮』である。
この神社は名前通り鶴山に建っていたから鶴山八幡宮だったのだが、
近くにある覗山という場所に移されてしまった。
それから5年後の慶長13年(1608年)、
忠政は鶴山八幡宮大祭の前日に、宴を催した。
そしてその夜、忠政が眠ったあとの事。
「鶴山八幡宮の神」を名乗る翁が、忠政の枕元に立ってこう言った。
翁、
「そなたの信仰の厚さは分かった。
しかしながら今、この社が立っている場所は以前の地より他群である。
すみやかに前いた郡の西北の地に遷宮せよ。
必ず国家の鎮護となるであろう。」
翌日、この夢を見た忠政は、内容をしっかりと覚えていたが、
「最近は臓物の具合が悪いので、おかしな夢を見た。」
と、とても現実的な結論を出し無視した。
そしてその日の夜も同じ夢を見せられたが、これもまた体調のせいにして無視をした。
しかしながらまた、
次の日の夜にも神が現れ同じ夢を見せてきた。
これで3夜連続で同じ夢を見せられたことになる。
ようやく忠政もこの夢の内容が気になってきたので、
鶴山八幡宮の神主と家臣の伴惟利に郡内で良い移転先を探すように命じた。
神主は神に良き移転先について八幡宮の神に伺いをたてると、
「城の乾(西北)、十六夜山がいい。」
との神託が下ったので、伴はそれを結果として報告した。
驚いたのは忠政である。
夢の内容など、もちろん誰にも口外していないが、まさにお告げ通りの結果が出たのだ。
忠政は、即刻家臣に命じて十六夜山に社殿を造営して、
久米郡の覗山より返遷し、神器を奉納した。
こうして現在の位置に鶴山八幡宮は移ったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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