信濃動乱☆ | げむおた街道をゆく

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慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こり、西軍は敗れた。
 

信濃で大いに徳川軍を苦しめた真田昌幸も、

西軍が負けたとあれば、
流石にもう戦い続ける理由は無く、あっさりと降伏し、

上田城は開城される事になった。
 

しかしながらここで事件が起こる。

反徳川を掲げて戦ってきた上田の領民達が、
徳川の入領に反感を持ち、一揆をおこしたのである。

これは一大事。

ここで一人の男が立ち上がる。
森忠政、

「これは手柄にする好機。仙石さんや真田(兄)さんや皆さん、
上田攻めでお疲れでしょう? 私がやりましょう!」
上田攻めで川中島に引きこもっていたら、いつの間にか全て終わっていて、
仕事が無くて焦っていた、この男が一揆鎮圧に名乗りを上げた。

忠政、

「真田の指揮も無い素人集団がプロに勝てるわけ無い。
林さん、伴さん! やっておしまいなさい。」

一揆を起こされては叩き潰すという定評のある森家。この一揆も数日で平らげた。
忠政、

「さぁ、一仕事した所で、上方に報告でも入れようじゃないか。」

ここで焦って家康に報告を入れてはいけない。

忠政はまず、多少ヘマをしたとはいえ、
中仙道軍の大将である秀忠に先に報告を入れる。
 

忠政、「次期後継者の自尊心を刺激しておいて損は無い。」
追伸として忘れずに、

「ぜひ、内府様と謁見の機会が欲しい。」

と添えるのも忘れない。

そうして秀忠から返事が来た。
秀忠、「一揆の鎮圧ご苦労。この事は父上にも伝えたので、
近く上洛する際に謁見の機会を設けます。」

忠政、

「これで仕事はしたと言い張れる。」
3年後、忠政は美作18万6500石に加増される事になるのであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 美作津山藩初代、森忠政

 

 

 

ごきげんよう!