彼を、味方に☆ | げむおた街道をゆく

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賤ヶ岳の合戦の前、羽柴秀吉は、湯浅甚助を呼び出し、こう命じた。
「汝は長浜に参り。柴田勝家の養子の、伊賀守勝豊の与力共に近づき、

弁舌を以って彼を味方に引き入れよ。

伊賀守は、内々、佐久間(盛政)と不和であり、

それ故に勝家にも恨みを持っていると聞く。
これ畢竟の幸いである。

何故、汝を差し寄越すかといえば、前に長浜城を引き渡す時、

伊賀守の家老与力らと、互いに親しく語り合っていたためであり、

それ以上に深い仔細があるわけではない。」

これに湯浅畏まり、長浜表に至って、

勝豊の家老・徳永石見守、並びに与力の大境藤八、疋田左近、
山路将監、木下半右衛門、神谷越中守らに対面して、

「今度味方に参られれば、皆様は大名に取り立てられます。

ことさら伊賀守様に対しては、
秀吉からは、以前より内々ご入魂に語り合う仲で、

今以って些かも疎遠にしようと思っていないので、
各々が進めて秀吉に力を合わせるということになれば、

先ずは当分の賞として越前国を参らせ、
その上で時期を見て、北國の総大将に取り立てたいと考えていると言われました。
それ故に、このようにあなた方に申し入れたのです。」

甚助はそのように弁舌を振るい、朝夕に親しく語りかけたので、

やがで各々も同心し、主人勝豊に、
秀吉の考えを詳しく申し述べて、それに同調するよう勧めた。
 

しかし勝豊は、これを聞くと、
「秀吉がいかに懇切に申されると言っても、父に向かって弓を引く道理があるべきものか。」

と、それを喜ぶ気色は全く見えなかった。

それでも右の者達は、勝豊の前に代わる代わる進み出て、
「殿の仰る通り、父子に仲違いが在ったからと、

敵方に与力遊ばされるのは、我々が無道であるかのように、思われることでしょう。

ですが、殿にはご病身であられる故に、

かねがね勝家公の御前も遠ざかられ、父子の御仲も疎遠になられたように見えます。
一方で佐久間(盛政)殿は、加州表で優れた働きがあったため、

大身と成られ、家中の者達も甚だ以って尊崇しております。

それに引き換え、殿は勝家公には疎まれ、家中の面々にも、

有り甲斐もなく思われており、何の御面目がありましょうか。

その上、勝家公には、御実子である権六殿もいらっしゃいますから、

行く末も良き事はないでしょう。
また、勝家公は武略知謀も類ない方ですが、

現在は御簾中と成られた小谷の御方(お市)の容色に耽られ、

軍の駆け引きも、以前と違いはかばかしいご方便も無いように見えます。

一方の秀吉公の業績を見るに、知謀勇決は古今に優れ、民を憐れむこと堯舜の如くであり、
殿が日頃から彼と昵懇であるのは幸いの事です。

今度の招きに応ぜられ、御合力なされば、秀吉も、
よもやその恩賞を忘れることはないでしょう。

行く末北国の総大将と成り給われば、誠に以って目出度き事ではありませんか。
例え殿がご立身なさらなかったとしても、今度の合戦に秀吉公がお勝ちになる事、

鏡に映すように見えております。
また、無道の父を討ってその子を取り立てる事も、和漢にその例多くあります。

とにかく、行く末頼もしからぬ勝家公に従うよりも、

秀吉に与する事こそ、然るべきと存じます。」

このように、様々な言葉で勧めたため、勝豊も終に欲心に引かれ本性を取り失い、
「私もよく考えて見れば、汝らが言うところ、尤もに思う。

この事、良きに取り計らうように。」
と認めたため、家老与力の面々大いに喜び、急ぎ湯浅を招いて同心する旨を語り、

宜しきように頼み入ると述べたため、

甚助は、「仕済したり。」と早々に帰り秀吉に報告すると、

大いに喜ばれ、
勝豊に来國實の太刀に金子三百両を添えて贈り、

その他家老・物主(指揮官クラス)達にも、名作の太刀に黄金を相添えて先々の事も含めて、

当座の褒美として贈った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 勝家に疎んじられる、柴田勝豊

 

 

 

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