お静の涙雨☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

1576年、柴田勝豊は、丸岡城を築城していた。
 

しかし、何度、天守閣の石垣を積んでも崩壊したため、人柱を入れることとなった。
そこで選ばれたのが、2人の子供を抱えて貧乏な暮らしを強いられていた、

隻眼の女性である、お静であった。
 

生活に困窮していたお静は、せめてでも子供だけはという親心があったのか、

子供のうち1人を侍に取り立てて、勝豊に仕えさせてもらえないだろうかと頼んだ。
勝豊のほうもこの条件で了承し、お静は人柱となって埋められた。

こうして丸岡城の天守閣は立派に完成した。
 

さあこれでお静の子供も侍に、となるはずであった。
ところが、勝豊はどこぞに転封を言い渡された。
『息子を侍に取り立てるだと?あれは嘘だ。』

とばかりに、お静の子供は侍にしてもらえなかった。

お静は、事実上怨霊となり、

藻刈りをする卯月に大雨が降り、洪水が起きたため、

人々は『お静の涙雨』と呼び、小さな墓を建てて、お静の霊を慰めた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 勝家に疎んじられる、柴田勝豊

 

 

 

ごきげんよう!