1576年、柴田勝豊は、丸岡城を築城していた。
しかし、何度、天守閣の石垣を積んでも崩壊したため、人柱を入れることとなった。
そこで選ばれたのが、2人の子供を抱えて貧乏な暮らしを強いられていた、
隻眼の女性である、お静であった。
生活に困窮していたお静は、せめてでも子供だけはという親心があったのか、
子供のうち1人を侍に取り立てて、勝豊に仕えさせてもらえないだろうかと頼んだ。
勝豊のほうもこの条件で了承し、お静は人柱となって埋められた。
こうして丸岡城の天守閣は立派に完成した。
さあこれでお静の子供も侍に、となるはずであった。
ところが、勝豊はどこぞに転封を言い渡された。
『息子を侍に取り立てるだと?あれは嘘だ。』
とばかりに、お静の子供は侍にしてもらえなかった。
お静は、事実上怨霊となり、
藻刈りをする卯月に大雨が降り、洪水が起きたため、
人々は『お静の涙雨』と呼び、小さな墓を建てて、お静の霊を慰めた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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