将軍・徳川秀忠が、上洛の途中、尾張熱田において多くの国衆の出迎えを受けた。
その中に、兼松又四郎(正吉)という老人の名が見え、
これは古兵の聞こえた者であったので、
その夜、土井大炊頭利勝が、
秀忠の使いとして兼松の自宅に赴き、3つの質問をした。
「公方様よりお尋ねになったのはこの3つでござる。
第一の質問は、織田信長公と今川義元公との合戦、
いわゆる桶狭間のおりの貴殿の手柄はどういったものであったか。
第二の質問は、刀根山の合戦において信長公より、
足半(踵の無い短い草履)を賜った誉のことについて。
第三の質問は、貴殿と猪子内匠一時のどちらが年長か、ということである。
公方様は猪子の方が年長だとおっしゃっておられた。
これらについて、いかがであろうか?」
これに又四郎。
「仰せの趣、畏まって候。
先ず信長公と今川殿との戦の時には、朋輩7,8人と寄り合って打ち立ったのですが、
私は2度までも馬を乗り損じてしまい、変なことだと思ってよくよく見てみると、
私は鎧を逆さまに付けていたのです。
それで、どうも不吉に思ったので、その日は合戦に出ませんでした。
それに対して朋輩達は皆、手柄高名をいたして帰ってきたのに、
私一人そのような始末であったので、
見苦しいことだと皆よってたかって私を馬鹿にしつつ、
彼らがそれぞれ取ってきた首の血を私の具足に塗り、
仕舞いには泥を草摺に塗られ辱められました。
その上彼ら高名した者達と一緒に、心恥ずかしくも信長公にお目見えいたしました。
ですがその時信長公は、義元の首を三方に乗せられ御前に置かれ、
たいへん機嫌の良い所でしたので、
手柄を立てた朋輩とともにお暇を賜って帰宅したのでした。
それから刀根山の時のことですが、宵に御触れがあったのですが、
私は全く油断していておりました。
ところが信長公が早くも御出馬との事を聞き、私は大慌てで、
草履を履く暇もなく裸足にて駆けつけ、
なんとか高名を仕った所を信長公がご覧になり、
御太刀の鞘に掛けられていた足半を下されたのです。
別に骨折りというほどのことではなかったのです。」
なんともガッカリな真実ばかりである。
ここで土井利勝は言葉をはさみ、
「さて、貴殿と猪子内匠との御年齢は、確かに猪子のほうが年上であると、
上様の御記憶であるが、その通りでありますな?」
しかしここで又四郎。
「いいえ、それは上様の御記憶違いです。猪子内匠は私よりも年若です。」
土井利勝、これに困った顔で、
「兼松殿、上様は御記憶が良いのが自慢なのです。
これは大して意味のある話でもありませんし、
ここは貴殿のほうが年若と申し上げておくほうが、何かとよろしいと思うのですが…。」
が、又四郎。
「ええ、あなたのおっしゃることは解ります。
実は私も、ここは自分が年若だと申し上げたほうが、
何かと都合も良いとも考えました。
ですが、あなたがお尋ねになった3つの質問の内、2つまで武勇についてのことでした。
であればそこに、
偽りを申し上げるわけには行きません!」
土井利勝はこれを聞いて感動し、なんと貴い心がけであろうかと、
そのまま秀忠に報告した。
秀忠も兼松又四郎の直良な心に感じ入り、
「偽らず飾らず、さすが武道の達人である。」
そう言って時服、黄金に御内書を添えて又四郎に下された。
これを伝え聞いた人たちはみな、兼松の名にし負う正直さを褒めぬものはいなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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