織田信勝☆ | げむおた街道をゆく

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武蔵守殿信行(織田信勝)は、先の和睦の後もまたまた野心を挟まれ、

春日井郡龍泉寺に居住なさるとして、当所に要害を構えられた。

 

これは上郡岩倉城主・織田伊勢守(信安)衆と心を合わせ、

東郡篠木三郷を始め、信長御台所入りの知行所どもを、

ことごとく押領なされるためである。

また信行は、不行儀の事どもが多かったのを、

柴田権六勝家が度々諫めたのだが御許容なさることなく、
あまつさえ近習の小姓で寵愛なされた津々木十蔵という者は出世甚だしく、

諸事の別当となり諸侍の総頭を仰せ付けられて、

この頃は津々木蔵人と名乗った。

この者は智もなく勇もなく第一に驕りを極めたため、諸人に憎まれ疎み果てられた。

中でも柴田権六と仲が悪く、権六を万事引き下げてあしらえば、

内々に権六は安からぬことに思っていたのだが、
弘治2年(1556)正月5日、武蔵守殿は家中の面々に椀飯の饗応を下されたのだが、

柴田にはその沙汰なし。

勝家は不審に思い、もてなし顔で台所辺へ伺候したけれども、

津々木が連日何事かを讒言したのか、信行は柴田に言葉をも掛けなさらなかった。

勝家は蒸すが如く腹立ったけれども、わざと顔色に出さずにいたが、

心安き朋友の手を取って自分の眼の上を探らせると、

眼の上はさながら猛火のように熱していた。

これほどに感情が高まればどうして少しでも躊躇えようか、

その日すぐに勝家は清州へと参上して、
密かに武蔵守殿にまた御謀叛の企てある由を信長公へと申し上げた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 織田家臣団

 

 

 

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