本能寺から奇跡の脱出を果たした織田源五長益は、
甥の織田内大臣信雄に仕えた。
しかし、天正18年に東海への移封を拒絶した信雄は、
太閤秀吉の逆鱗に触れて改易され、長益も失領した。
この時、世をすねたのか長益は、
「織田無楽斎」
と名乗って出家した。
小田原征伐からの帰陣の途上に、そんな織田無楽斎とばったり出会った秀吉はこう言った。
「源五殿。ワシのお伽衆として召抱えるゆえ、貴殿は今は楽有る人なり。
無楽を止めて楽しく有る人になられよ。」
無楽斎改め「有楽斎」に対して、摂津国嶋下郡味舌2000石を与えたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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