あれは忘れもしない、天正10年のこと。
6月2日未明、妙覚寺の外が騒々しい。
小者の喧嘩かと思うと、やがて木がはぜる音が地を這うように響いてきた。
何事かと外に出ると、本能寺の方角が火の海である。
仰天しておると、村井貞勝からの知らせ。
惟当日向守謀反、攻め寄せられた兄・信長は、火の中で自刀したと。
本能寺に向かおうにも大軍にはなす術もない。
茫然とする間もなく手狭な妙覚寺では適わぬと、二条御所に慌てて逃げ込んだ。
10歳年下の主君で甥でもある信忠、その一党は、評定となる。
逃げ出そうにもすっかり囲まれている。
信忠から尋ねられたが、
腹を切るとしか言いようもない。
寄せ手の光秀軍に手向かいながら、信忠は切腹、側近旗本、弟の長利までも皆後を追った。
遺体は御殿と共にすぐに火に呑み込まれていった。
自分も腹を切るつもりであった。
遺体を燃やすつもりで薪を寄せ集めた。
ところがそこに敵兵がなだれ込んできた。
腹を切るいとまもない。とっさに薪の中に身を隠した。
誰も気づかない。助かってしまった。
薪の中で考えたのであるが、織田一族、皆が死に絶えてどうなろうか。
それこそ光秀の思うつぼである。
一人でも生き残れば、また運はめぐってくるというものである。
それにわしは兄からそれ程、目をかけてもらった、というわけではないからな。
生き残ったおかげで陰口も散々叩かれたが、
茶という瑞々しい世界が、
わしには開けつつあったし、現に今花開いておる。
今思えば死に損なって良かったぞ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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