織田有楽軒の息子・左門(頼長)の家士に、
常に武を心がけ、万事につけて埒が明く小身の者がいた。
傍輩たちはこの事を憎んだ。
ある時、四、五人が申し合わせて、銭湯の風呂に入った。
多くの人の中で、かの者は面を打たれて鼻血が流れ出た。
風呂の中は暗かったので相手が誰とも分からず、
かの者は、外に出て身体を拭い衣を着て、帯を締めて刀をさしはさむと、
「士の意趣は刀をもって勝負をするものぞ!
只今、拳をあげて我が面を打ったのは、女童のやり方のようである!
臆病者はまったく士の行為ではない!
志があるならば名乗れ!
名乗らなければ男とは言えないぞ!」
と、罵ったが、返答する者はいなかった。
亭主が手をすってこれを止めたので、
かの者は裸者をことごとく撫で斬りにすることもなく、
怒りを抑えて宿へ帰った。
それゆえに人々は口々に悪く取り沙汰した。
これを聞いた左門は、
「かの者は平生の覚悟が良くないので、我にまで恥辱を与えた。」
と言い、かの者を追放しようとした。
これに有楽軒は、
「『高木は風にあい、勇士は妬みにあう。』
と言われている。
これはきっと傍輩どもの仕業だろう。
面を打つ程度の心で、名をも名乗らず黙っているのは、
人知れず恥辱を与えたことを勝ちとした臆病者だ。
決してかの者が気後れしたわけではない。」
と言って、かの者を扶持して残した。
その後、かの者は、合戦の場に赴き、大剛の働きあって名を揚げたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!