高木は風にあい、勇士は妬みにあう☆ | げむおた街道をゆく

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織田有楽軒の息子・左門(頼長)の家士に、

常に武を心がけ、万事につけて埒が明く小身の者がいた。

傍輩たちはこの事を憎んだ。

 

ある時、四、五人が申し合わせて、銭湯の風呂に入った。
多くの人の中で、かの者は面を打たれて鼻血が流れ出た。

風呂の中は暗かったので相手が誰とも分からず、

かの者は、外に出て身体を拭い衣を着て、帯を締めて刀をさしはさむと、

「士の意趣は刀をもって勝負をするものぞ!

 只今、拳をあげて我が面を打ったのは、女童のやり方のようである!

臆病者はまったく士の行為ではない! 

志があるならば名乗れ!
名乗らなければ男とは言えないぞ!」

と、罵ったが、返答する者はいなかった。

 

亭主が手をすってこれを止めたので、
かの者は裸者をことごとく撫で斬りにすることもなく、

怒りを抑えて宿へ帰った。

それゆえに人々は口々に悪く取り沙汰した。

 

これを聞いた左門は、

「かの者は平生の覚悟が良くないので、我にまで恥辱を与えた。」

と言い、かの者を追放しようとした。

これに有楽軒は、

「『高木は風にあい、勇士は妬みにあう。』

と言われている。

これはきっと傍輩どもの仕業だろう。

面を打つ程度の心で、名をも名乗らず黙っているのは、

人知れず恥辱を与えたことを勝ちとした臆病者だ。

決してかの者が気後れしたわけではない。」

と言って、かの者を扶持して残した。

その後、かの者は、合戦の場に赴き、大剛の働きあって名を揚げたのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 有楽流を創始、織田長益

 

 

 

ごきげんよう!