大阪城を退去した織田信雄とその郎党を、家康・秀忠は厚遇した。
上州甘楽などに5万石を与えるだけでなく、国主格まで与えたのだ。
「そういえば…北畠氏館にも見事な庭園があったな。」
60近くなっていた信雄は、かつて自分が継いでいた名族の館にあった、
細川高国作の庭園を思い出していた。
そして実質的な藩運営は息子の信良に任せながら、自身は陣屋内の作庭に没頭した。
「論語によれば智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむという。なら私は山を楽しもう。」
とこの庭園を楽山園と名づけた。
その名の通り近隣の山々を借景とし、
庭園内部にも山を思わせる立体的な空間を作ったその造りは見事で、
織田家が領地替えになった後も代々受け継がれ、
初期大名庭園の傑作として、群馬県での国指定名勝第一号となっている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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