大阪の陣が終わった後、京都ではもっぱら、
女能が流行した。
その頃、吉野という傾城の太夫が、
四条河原にて能を興行していた。
これを織田上心(常真・信雄)が、
お忍びで見物をしていたところに、
織田宇楽(有楽)も見物に来ており、
ここで常真の衆と有楽の衆が喧嘩と成った。
これにより双方多くの侍が死亡し、また能舞台も完全に破壊されるという、
殊の外、大きな騒動と成った。
この事件があったため、女能は固く禁止と成った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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