慶長19年(1614)、
駿河より片桐且元の持ち帰った和平案を、豊臣秀頼は拒絶する。
そして織田常真入道(信雄)を呼び、
「この上は且元を斬り、挙兵せんと思う。その際は入道に総大将を任せたい。」
と言った。
これに常心入道、
「ははっ。今天下の大名を数えるに、
一体誰が故太閤の御恩を受けていない者でしょうか?
一旦挙兵すれば、
これに参加するため豊臣家の元にに参らぬものなどおりはしません!
さらにお手元の軍勢も、1,2万もございます。
この入道も若い頃は、1,2万の軍勢であれば、
型が出来ているかのように使い慣れたものですよ。
老後の思い出に一方の大将を承り、素晴らしい活躍をお目にかけましょうぞ!」
これに淀殿、秀頼をはじめ豊臣家の人々大いに喜び、
「萬事、入道の計らいに任せる。」
と、挙兵することに決まった。
ところがである。
常真入道、片桐且元の元に密かに使者を立て、この日あったことを全て詳細に伝えた。
そして自身は夜に入って吹き荒れた風雨にまぎれ、
大阪を落ち京に隠れ、
徳川家康が京に上ったことを知ると、二条城へと入ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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