天正12年(1584)3月、織田信雄の家老・岡田重孝は、
主君に呼ばれ謁見の間に向かったが、
そこに信雄の姿は無く、
近習の土方彦三郎の姿があるのみ。
用心して広間の柱に身を寄せ、重孝は彦三郎に声をかけた。
「何やら殿が、わしを成敗されるという噂が流れておる。
もし本当なら、討っ手はお主だろうと思っておったわ。」
「そんな事がある訳はござらん。
もし本当だとしても、拙者ごとき若輩者には荷が重い役目。
しかし、仰せ付かったとすれば、若輩と言えども仕損じませぬ。
…殿は奥の間です。さあ、こちらへ。」
重孝が奥の間に行くと、いきなり信雄から鉄砲を渡された。
「新式の鉄砲じゃ。まず家老のお前に見せてやろう。」
「なるほど、これは珍しき道具。彦三郎、お主もこっちへ来て拝見せよ。」
呼ばれた彦三郎は、重孝に近づくと背後から脇差で、突き刺した。
「ぐわっ!…き、貴様やはり!」
重孝も脇差で応戦しようとしたが、彦三郎に固く背中から抱きとめられ、
うまく斬りつけることが出来ない。
彦三郎も、重孝を抱え込むのが精一杯で、それ以上は攻撃を加えられない。
見かねた信雄が太刀を抜き、
「彦三郎、放せ!」
と呼びかけたが彦三郎は、
「構いませぬ、拙者ごと斬られよ!」
覚悟を決めた信雄は、重孝に突きかかった。
「お、おのれ!」
重孝が信雄に備えようと構えた次の瞬間、彦三郎は重孝を放して身を翻し、斬り捨てた。
彦三郎の振る舞いは、
「上意討ち前後の働き、言葉遣い等いかにも行き届いている。」
と評判を呼んだ。
その後、土方雄久と名乗った彦三郎は、
小田原の役後に信雄が改易された際、独立して大名となり、
秀吉の死後、政争に巻き込まれて一時期流罪になる等、
苦労しつつも家を残し、慶長13年(1608)、世を去った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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