織田信長の次男である信雄は、本能寺に於いて信長が弑されたことを知る前に、
鬼頭内蔵助を、信長の様子をうかがわせるため、京都に遣わした。
鬼頭が山科に至った時、伊藤安仲に出会った。
伊藤は信長の笛役であった。
伊藤は、鬼頭を見て、
「ここは何処だろうか。」
と尋ねた。
逆に鬼頭は、
「貴殿は、どうしてここに居るのか。」
と聞いた。
伊藤は涙を流し。
「貴殿は未だ知らないのか。
信長公が今朝、明智の謀反により弑され給われた。
私のような者共は、
途方に暮れて行先も解らず迷い逃げたのだ。」
それは朝日が山端に差し昇る頃であった。
鬼頭は且つ驚き且つ疑った。
しかし伊藤は、
「偽りも事による。もし今信長公が恙無く、私がこのように大事の偽りを言えば、
一体どうして日本の地に身を置く所があるだろうか。」
「然らばここより立ち返り、貴殿の言葉を信雄様へ申し上げよう。」
「尤もである。証拠として、これは信雄様が御覧じ覚えたるものである。」
と、小刀を渡した。
鬼頭は急ぎ信雄の居城伊勢長島へと乗り戻り、
その日の太陽が傾く頃に、三十余里を馳せ到着した。
然れども馬は疲れを見せず、まさしく稀代の駿足であった。
さて、鬼頭はこの趣を申し上げたが、信雄は信じようとしなかった。
そこで証拠としてかの伊藤の小刀を出すも、猶信じず、
却って鬼頭が狂気したと思うような顔色であった。
致し方なく鬼頭は、
「やがて注進が参るでしょう。」
と言って自宅へ帰った。
信雄は御伽衆の梅心という者に命じ、鬼頭を訪れてその様子を伺わせた。
鬼頭は浴衣を着ながら梅心の前に出て対面し、
「私が狂気したのかと思われたによって、その方に伺わせたのだろう。
もしあの情報が虚説と成って私が切腹させられれば、むしろ大いなる幸いであり、
まことに望む所である。
虚説ではなく、私が切腹に及ばない事の方を憂いている。」
そう言って外に出て、繋いでいる馬の湯洗いをすると、馬はいなないて前掻きをした。
鬼頭は馬の健盛なる事を梅心に自慢した。
梅心は帰って、これを信雄に報告した。
その日の日暮れより諸方の早飛脚が、本能寺での事を告げた。
信雄は信長の弔い合戦について、今日よ明日よと言いつつ、出陣を十余日も引き延ばした。
その間に秀吉が備中高松より上がって、信長の仇を討った。
これは信雄が無勇の故である。
これによって、後年、信雄は秀吉のために領地を没収された。
しかし秀吉は信雄の制しやすいことを知って、
害はないと判断したため、大和に於いて五万石を与えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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