幸田彦右衛門尉は、織田信孝の家臣であった。
天正年中、賤ヶ岳の戦いの前、
信孝は羽柴秀吉によって激しく攻められ、
信孝は力尽きて和睦を受け入れ、その母及び、幸田の母を人質として送った。
しかし程なく和睦は破れた。
秀吉は怒ってその人質を殺そうとした。
幸田彦右衛門尉は孝子であったため、
この事態に心揺れ動いた。
これを聞いた母は、書状をしたため彦右衛門尉を諭した。
『お前が、この老婆の身の上を思って二心を懐かないように。
お前は硬く節を守って、我が君を補翼せよ。
然らば君に忠、母に孝であり、であれば幸いにも忠孝両全と成る。
私は殺されても悔いることはない。』
これによって幸田は志を決して、秀吉に叛いた。
秀吉は怒り、その母を磔にした。
幸田はますます信孝に忠勤して、尾張内海で信孝が自殺した時、
奮戦して潔く戦死した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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